cateaumas参上

BOC創設時の幹部である「かとうま」氏が、今回も性懲りもなくエッセイを突如として書き始めた。DDIPocketの文字電話を駆使して毎回私宛に送ってくるメールは、ある時は魔物に取り憑かれたかのような恐ろしくすばらしい文章であったり、いたずらの不幸の手紙ならぬ不幸のメールだったりする(笑)。海外旅行が趣味の範囲であるかどうかは知らないが、彼の行動力とともに湧き出た言葉の泉に、私たちは降伏するしかないのである。
書く文章に番号がふられているが、ひとつひとつ独立したメールとして送りつけられたものなので、今回この場所に掲載するときも、順番に分けて載せることにした。さぁ、この世界にあなたは何分我慢できるか?(^^;


新着エッセイ

   −H12.08.26 パリ滞在特別編(ヨーロッパ続々編)、12


ヨーロッパ編


去年の5月のことだ。春にしか開いていないキューケンホフ公園に行った。チューリップが主体の公園で3ヶ月で1年分の客が訪れる天国のような美しい場所だ。その日のアムスはどこもホテルは満室だったので夕方の列車でドイツのケルンに行くことにした。車両はドイツ国鉄のものでなかなか車内はきれいだ。しかも土曜日とあって週末料金で乗れた。次はボンでの出来事についてお話します。('_~)/


ドイツにはいって最初に着いたのはケルン。駅前のビジネスホテルへ落ち着く。よく朝、普通列車でボンへ小旅行した。ベートーヴェンハウスを観光したあとライン川沿いのカフェでビールを飲んだ。天気はよく、川にはライン下りの観光船がいっぱいで、あー、ドイツに来たなーと思うひとときをすごした。夕方ケルンにかえりまたビールを飲んだ。いずれもケルッシュ、地元のおいしいビールである。('_');


ケルンの大聖堂は大きくてすばらしい。中央駅のそばに堂々とたたずんでいるからそう見えるのかも知れないが、街のシンボルとなっていてここを訪れる観光客は必ず写真におさめて帰る。そんな大聖堂をあとに、またオランダ、デンハーグに旅立つことにした。北海に面したスヘフェニンフェンのリゾート海岸が懐かしい。2等車の座席のテーブルには、駅で買ったソーセージのサンドウィッチが置いてある。国境駅までに食べてしまおうか?そう思いながらデュッセルドルフの街を眺めていた。(^<~)


デンハーグに着いた。しかしその日は見本市のためどこもホテルは満室だった。しかたなく(?)オランダで最高のリゾートホテル、クールハウスに泊まることにした。夕食は軽く名物の生にしんを食べる。塩、コショウにたまねぎのみじん切りがまぶしてあり、魚好きにはたまらない一品だ。(このサンドウィッチはスキポール空港のロビーでも味わえる)
ホテルはリゾートというだけあって、部屋から見える北海の夕やけが素晴らしい。それはサマータイムに変わったばかりの、夜の9時のことであった。(*_*)'


いよいよネーデルランド(オランダ)を離れスペインへ行く。列車だと1日がかりなので2フライト付航空券を利用した空路を選んだ。行き先はマドリードではなくてバルセロナだ。それはガウディの最高にして未完の芸術サクラダファミリア教会を見るためだ。オリンピックの後なのか治安はかなりいい。着いてすぐホテルを探す。古くて決してきれいとはいえないビルの入り口に3Fホテルと看板がある。マフィアが住んでいるのかと思うような踊り場と階段・・・、あやしい。そして3Fのとびらを開けた瞬間、趣が一変した。明るいロビー、親切なレセプションのお姉さん、古いながら掃除のいきとどいた廊下と部屋、フリードリンク等、そこは家族経営のようなホテル。治安の悪いスペインでありながら心落ち着く空間であった。


バルセロナの朝は清々しい。目的であったサクラダファミリア教会に向かった。やはり来たからには一番上まで昇ってみたい。エレベーターもあるのだがあえて狭い階段で行くことにした。そのほうが途中からの景色が見えて楽しいだろうと思ったからだ。しかし昇って行くうちにそんなことはどうでもよくなってきた。それはもっと目を引くもの、階段の継目、柱、装飾・・・、そこにはガウディの芸術のさらに細かな部分までが見えてきたからあった。未完成の建築はこんな光景から受け継がれていくのであろう。


スペインで食べものといえばパエリアなのだが、夕方になって喉も乾いてきたのである店に入りセルベサ(ビール)を注文する。つぎに料理をたのむが、あいにく美味しそうなものは小エビとジャガイモぐらいしかなさそうだ。しかし出てきた料理はなんと程よい量の小皿に盛った一品で味は最高!小エビは唐上げ風、イモはジャガバターっという感じだ。日本の居酒屋のよりずっと旨い。まだ明るい夜のバルセロナの繁華街・・・、バル(バー)の酒のあては夕食のおかずとしても充分であった。


バルセロナから陸路でフランスに行くことにする。途中、ジローナという小さな街で観光と食事を兼ねて下車、、、静かで学生の多いカタルーニャ地方の趣のあるいいところだった。
ここからはフランスのモンペリエまで直通列車タルゴに乗る。線路の幅の違うところを行き来できる変わり種の特急だ。(スペインは西ヨーロッパで唯一、線路の幅が異なる)
しかし駅でその切符を求めると今日は運休とのこと・・・しかたなく国境駅まで行く普通列車に乗り、そこからフランス国鉄に乗ることにした。
悪いことは続くもので国境のセルベールに着くとそこからの接続列車がまた運休、、、次のモンペリエ行きの普通列車まで約2時間待つはめに・・・
セルベール、そこは国境の小さな港街、、、島国に住む日本人にとって感覚のないフロンティアを初めて実感した待ち時間であった。


モンペリエに着いて少し滞在。ローマ時代の水道橋やファーブル美術館を観てまわり、久々にゆっくりした時間を過ごした。フランス旅行はやはりこうでないといけないものなのだ。
2日後、隣街ではあるがプロヴァンス地方にあたるニームに向かった。街を歩いているとペタング(鉄のボールを転がして遊ぶフランス式ゲートボールみたいなもの)を楽しんでいる人たちがいたり、古代競技場では牛追いをやっていたりする。
「生きることを楽しむ国」・・
フランス観光局のキャッチフレーズなのだが、そのとおりだとここに来て感じた。
フランスの地方都市には必ず旧市街という所があるのだが、ここニームにもある。駅前や街には人もまばらだったのにそこは人々であふれている。大道芸人もいた。彼等はアコーディオンや打楽器を使って演奏したり踊ったりしているのであるが、ある曲を始めたとき、なにげない光景が一変し、それに聴きいってしまった。
美しき青きドナウ・・・
オーストリアで第2の国歌といわれているのであるが、その音色は本場ウィーンフィルハーモニーの演奏よりもはるかに情のこもった美しいドナウ川の調べであった。あとで5フランが財布からなくなっていたのは言うまでもない。

10
ニームからは一気にスイスはジュネーヴへと向かう。乗換えなしのTGVで行こうとするが、あいにく満席・・、仕方なくリヨンで乗り変えて行く在来の列車に乗ることになった。
そしてその列車を待つためホームへあがる。すると待っている人たちがすでにたくさんいた。イヤな予感・・・。列車が到着してビックリ・・、もっと凄いことになっていた。席は全部埋まっていて通路にも立っている人がいっぱいだ。
いちばん後ろのデッキに立って乗るはめになった。
そして発車、、列車が途中アヴィニオンに停車したときのことだった。…なかなか発車しない。いっしょに立っていた親子らしい客にたずねてみると、この列車が予想以上の混雑のため、ここで車両を増結するということになったらしい。40分以上停まったままだ。このままではリヨンで接続している列車に乗れないだろう。そう思いながらもやっと列車は走り出した。もちろん立ったまま・・
リヨンでは予想通りジュネーヴ行きに乗れず、次の列車の時間を調べることにする・・。
次の列車はTGV、それもニームからくる列車だ。満席のはず・・・
しかし予約券売場へ行くとあっけなく予約券を買うことができた。何か変な感じだ。ニームからリヨンの間が混んでいたようだ。
TGV、何度か乗ったことがあるが、この日は速度が極端に遅い。もう遅れはごめんだ。・・・あっ、そうか、・・ここは高速新線がなかったのか。列車は新幹線でも線路は在来線だからな。・・・
列車の遅れが、鉄道の旅の思い出をひとつ残してくれた。

11
そしてジュネーヴに着いた。ここはEUではないため改札じゃなく税関がある。まずはホテルをさがし夕食をとる。何とまあ物価の高いことか・・・
ちょっとレストランで軽く食べるだけで日本円にして5000円も取られてしまった。おなかはまだ足りないと申しており駅でパンを買って帰る。それでも高い。次の日、買い物に行ってここジュネーヴはヨーロッパいち物価が高い所だと知った。
お金もかかることだし本格的に観光することにする。レマン湖の遊覧船に乗った。山の緑も見える所だがここは都会の街ジュネーヴ・・・
それなのに湖の水はとてもきれいだった。・・・
だって全ての水がエビアンなんだから・・・


北イタリア・南フランス編(ヨーロッパ続編)

12
初夏の6月、イタリアのボローニャ空港に着いた。
倉庫のようなターミナルビル、、、地方都市ではあるが国際空港とは思えない雰囲気だ。オランダから着いたのでパスポートは見せるだけでいいか、・・っと思っていたがなんと入国のスタンプを押してくれた。旅行者にとっては記念になって嬉しいものだが不法滞在しようと思っている者たちはどうなんだろう・・・
そんな心配はいいとして市街へ向かう。
ここへ訪れた理由はイタリアブランド、「ア・テストーニ」の店に行くことだった。それにしても中世の昔から学生の街だったこともあって若い人が多い。少々きたない設備だがホテルもすぐ見つかった。
ここはボローニャ、、、せっかくだからスパゲッティボロネーゼを食べたくなった。街を歩いていき、ふと裏通りに入ったときだった・・・誰も歩いていない・・、で、道路はまっ暗・・、しかしひとところだけ妙に明るく賑やかだ。
・・・見つけた!トラットリア(食堂)だっ!!まよわずそこで夕食となった。お客さんは地元の人ばかりでスパゲッティより窯で焼いたピザが絶品だった。くだらない旅行ガイドブックに載っているような店ではない。何か秘密の場所を探しあてたようでなんだか嬉しい。食べ終わった頃には「ア・テストーニ」のことなどすっかり忘れていた。
・・・・次の日のお昼もそこへ食べに行ったのは言うまでもないだろう。

13
水の都、ヴェネツィアに行こうとボローニャから列車に乗ったのは昼すぎであった。まだあかるいイタリアの夏の夕方、ヴェネツィア・サンタルチア駅に着いた。ここヴェネツィア本島ではこの先、列車も車もそして自転車も進入禁止だ。街の中心へは水上バスで移動する。バスから観る景色はイタリアらしくない、古き良き貿易盛んな頃の港街そのものだ。「いつ水没するのか?」と今言われているような様子など全くない。そこは人々が行き交う、賑やかな、海に浮かんだ都市ヴェネツィアである。

14
ヴェネツィアに来たのは2回目、このまえに来たときにみつけた家族経営のトラットリアで食事した。その店は本格的なピザ窯や調理器具が揃っているわけではないが、気にいっているのはそこがイタリア人の生活そのものの料理をだしてくれることである。庶民の味という感じでもなく生活の中の一回の食事がそれ・・・と説明すればよいのだろうか?注文をとりにくるのはそこの老いた主人、まだまだ現役の大がらな人だ。でもそこでなによりもうれしかったのは、私のことを覚えていてくれたことだった。

15
ヴェネツイアをあとにミラノ経由でいよいよコートダジュールへ向かう。とりあえずミラノ行きの快速に乗ったのだが、冷房が付いていない。夏でも湿度が低いので過ごしやすいのであるが窓を開けての130Km/hは相当なものだ。風がイヤっていうぐらい車内にはいってくる。でも景色は草原や畑やらで感じがいい。
そしてまもなく乗換えのミラノというときにはもうこの状態に馴れてしまい、この列車のままニースまで行けたら・・っと思うほどである。
まもなく去ろうとしているイタリアの暖かい空気を思い残すことなく吸ってきた。

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ジェノバから地中海が窓にひらけてきてリヴィエラ海岸のリゾート地を列車ははしる。やがて国境を過ぎるとモナコ、モンテカルロである。後日そこを訪れることにして、もう少し前に進む・・・・そして世界中の金持ちが集まるコートダジュールの大都市、ニースに降り立った。そこはフランスなのに英語が公然と飛び交う観光地だ。それよりも体に感じたことはパリにはない地中海の暖かな風を吸いこめる嬉しさであった。

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初夏のニースは暖かい。海岸沿いのプロムナード・デ・ザングレを散歩したり砂浜で日光浴したり・・・泳ぐのは少し水が冷たかったが海の色はコートダジュールの名のごとくきれいだ。砂浜では女の人もトップレスで目のやりばに困ったのだが、ここはニース・・・ヨーロッパの人たちのリゾート地である。東洋人が砂浜で日光浴をしているほうがもっと異様に思われているのであろう。こちらが反対に恥ずかしかったぐらいだ。海岸の前に並ぶいくつかの高級ホテル・・・そのひとつにネグレスコホテルがある。そこは友達のカルエル.アランのかつての職場・・・リゾートホテルというよりは世界中の金持ちをもてなすためのニースの顔とも言うべき建たずまいである。

18
モナコ公国...もし日本にもこの国と同じ政策をおこなっている市町村があるなら私はそこに住みたい。ほとんどがカジノの運営とコイン、切手で国の税収を得る・・街にはいたるところに監視カメラがあり、もし犯罪が起きれば3分以内に国境は閉鎖される・・・等々
山がそびえる狭い土地にあるモンテカルロ地区にやって来た。駅からは、まずおのぼりさんのごとく王宮の広場まで歩く。衛兵の交代を見るためである。海に突き出た岩山の上に建つ王宮は眺めがよく街中が見わたせる。港にはヨットやクルーザー、、、モナコグランプリのコースは一般道として車が行き交い、、、その向こうにはカジノのあるオテル.ド.パリも見える。貧乏旅行者には縁のない景色なのかも知れないが、何か金持ちの一人になった気分になってくる。
モナコに来た記念に友達のアランにエアーメールを出した。郵便局の職員にフランス語で話し、切手代をフランスフランで支払う。もちろん切手はモナコでしか使えないものをを貼ってくれた。

このシリーズはこれまで
次回からはフランスの地方都市を巡ります(^o~)/
<今シリーズ・完>


パリ滞在特別編


シャルル・ド・ゴール空港...
そこに着いたのはまだまだ明るいサマータイムの午後6時だった。新たに建築されたターミナル2F(これまでに円形の1、T9、2A、2B、2C、2Dのターミナルを備えている巨大空港)から市内行きの郊外地下鉄RERに乗り、パリ北駅へと向かった。
パリ郊外の街並みがひろがってくる。TGVが並行して走り抜け、競技場スタッド・ド・フランスも見えてきた。
あー、帰ってきたんだ!旅行に来たのにそう感じた。これから12日間、ここでの生活が始まる。


ギャール・デュ・ノール...パリ北駅をそう呼ぶ−−−
ホテル、ホテル、ホテル、、、いつものように予約なしでここに来ると、まず最初の仕事が宿探しだ。ところが駅前のどこのホテルも満室でなかなか見つからない。中心部に移動...そこもダメ、モンパルナス駅周辺、そこもダメ、、、見本市開催か?あっ、サッカー欧州大会!!!
出張のビジネスマンのほか、報道関係者で一杯なんだー。
結局、夜行で逃げるわけにもいかず滞在当日の宿はモンパルナス駅のコンコースというはめになってしまった。つらい1泊となったが、翌朝気がつくと1泊分のホテル代が財布の中に残っていた。


北駅に戻り、ホテルを見つけることができた。運よく午前中に部屋へ入れてくれて、早速シャワーを浴びて昼寝する。気持ちがいい!昼間はここぞとばかり観光に出かけるパックツアーでは考えられない贅沢なのかもしれない。おかげで午後からは気分壮快でモンマルトルの丘を散歩す
ることができた。もちろん昼食は歩きながらのパテのサンドウィッチであった。


夕方、シテ島に浮かぶノートルダム寺院を訪れる。いつ来ても観光客が絶えることがないパリの名所なのだが、ここもまたヨーロッパの街にはたいていある教会のひとつである。宗教的には裏通りにある小さな教会と変わりないものだと思うのだが、ノートルダムにはロケーションや土地柄のほかに何か人を引きつけるものがあるのかもしれない。屋根裏に鐘つきのせむし男がいるかどうかは別にして、今日もノートルダムはセーヌとともにパリの空の下にたたずんでいた。


3日目は少し曇りだったがサン・マルタン運河沿いをラ・ヴィレットからレピュブリック広場の近くまで、ずっと歩くことにした。水位の高低さがあるので途中水門がいくつかあり、回転式の橋もかかかっている。両岸にはヨーロッパ各地からの物資を保管したのだろう倉庫の跡が残っているが、今ではそこを行き交う貨物船はなく、観光船だけがその面影を残している。それにしても昼間というのにとても静かだ。昔の賑やかさは消えてしまったが、そこには新しいパリの名所としての雰囲気が芽生えている。


午後からは墓地を歩くことにした。日本では墓地を散歩するなんてあまり考えられないが、ここはフランス...公園の中に墓があるといった表現のほうが解りやすいだろう。今回の目的はペールラシューズ墓地に眠るショパン、ビゼー、ドラクロアなどフランスで活躍した芸術家の墓を見にいくことだ。
予想どおり墓地の中は親族ではなく観光客の姿が目立つ。死者にしてみれば安らかに眠れる気分にはならないだろう。しかし小高い丘にあるこの墓地はエッフェル搭をはじめ、パリの街を見渡せる一等地...フランスを愛した者には最高の心落ち着く場所なのかもしれない。


4日目は昼までホテルの近所を散歩して午後からは最もパリっ子で賑わうレ・アールに行った。「市場」という名前の繁華街は、もともと中央市場のあったところで、今はポンピドゥ文化センターを中心に近代的な建物が古い街に囲まれ賑わっている。しかし古い所と新しい所が微妙に溶けあってこの地区の良さが生きているのは、またなんともフランスらしい・・・。その中に小さな教会を見つけた。サン・メリー教会...土曜日というのに美しいパイプオルガンの音が聞こえている。入り口を開放したままでオルガン奏者がミサの練習をしているのだ。その音に聴きいってしまった私は、いつのまにかいちばん前の席に座ってタダの演奏会を楽しんでいた。


17区にあるコンサートホール、サル・プレイエルで土曜の夜を過ごした。新しく改装されているもののその歴史は古く、ショパンがパリで初めてコンサートを開いたのは他ならぬこのホールである。その日のプログラムはイル・ド・フランスオーケストラの演奏でベートーヴェンの第9であった。演奏のほうは日本のレベルが高くなったのか、フランスのレベルが低くなったのか、演奏技術はあまり変わりない...が、ここで聴くということに一種の意義があるのである。待ちあいのホールはヨーロッパの社交界をかもしだす雰囲気だし、みんなそれなりにおシャレ
して来ている。私のような東洋人などは全く場違いのような気もしたが、ここもまたパリ...何人もの東洋人が西洋音楽に酔っていた。


5日目、カトリックの習慣が残るヨーロッパの日曜日は商店やレストランも休みになる。最近は開けているところも多いのだが一応買い物などは避け、日曜日も開いている観光スポットに足を向けた。最も有名なエッフェル搭は朝から私と同じことを考えてきたのであろう世界中からの観光客が列をつくっている。ここに昇るのは4回目だが、何度来ても飽きのこない景色をいつも見せてくれる。そこには季節や天候で写りかたが左右されるなにかがあるのでだろう。今日もまた、違う何かを見つけるためエレベーターに乗った。

10
昼からはアンヴァリッドまで歩き、セーヌに掛かる橋の中でも有名なアレキサンドル3世橋をめざす。そろそろ地下鉄に乗り飽きてきたころなので外を歩くのは新鮮な気分だ。途中に有名な観光地もなく、一つの都市としてのパリも目に映ってくる。川沿いならともかく、いったんシャン・ド・マルス公園の果てまで行って遠回りのコースをとった。しかし数分後、やはり観光地としての光景を目にすることになってしまう。
その果ての陸軍士官学校までたどり着き、後ろを振り返ったとき、絵はがきの中にあるエッフェル塔が目に入ったのだった。・・・ここからのアングルだったのかー!
地下鉄に乗らなかったために得た旅の収穫である。

11
6日目、マレ地区の近くのカルナヴァレ博物館を訪れた。その日は何故か入場が無料で得した気分...こういうことはヨーロッパの博物館や美術館ではたまにあって、理由がストっていうのもある。いずれにせよそのお金で昼御飯を豪華にしようと考え、じらすようにゆっくり見物し
た。貴族のお屋敷の跡なのでなかなか風情があり、今にも召し遣いが出てきそうな雰囲気、、、自分もその来客の貴族になった感じがする。
しかしそんな気分でそこをあとにした行き先は、豪華にディジュネ(昼御飯)ならぬファストフードのハンバーガーであった。

12
7日目、朝起きると雨だった。
ヴェルサイユでも行こうか、、、と考えていたのだが急きょ明日に延期してオルセー美術館へと足をはこんだ。
そこは昔の駅の跡をそのまま利用した建物なので他の美術館とは趣がちがう。今でも列車が入ってきそうな1階展示室、、、豪華な2階待合室跡のレストラン等々、、、モネやゴーギャンの絵を見るより、建物に興味がいってしまうのは私だけなのだろうか?
しかしここはやはり美術館・・・音楽好きの私がもっとも気にかかり、いつまでも見ていたのはラ・マルセイユズの譜面であった。

13
<ただいま執筆中>


フランス地方都市編


<ただいま執筆中>


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